東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

  • 2019年10月23日(水)
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「心花怒放」(しんかどほう)

 この「怒」は勢いの盛んなこと。心中の喜びが一気に溢れ出るようす。ラグビー(球)の「ワールドカップ2019」の日本戦で、トライを決めるたびに、一人ひとりの観衆の「心花怒放」(李宝嘉『文明小史「六〇回」』など)が溢れて、観客席が何度となく異様な興奮とどよめきにつつまれました。もとは仏教で悟りの境地をえることでしたから、法悦にちかい共鳴を伝えることばといえそうです。「心花怒発」「心花怒開」ともいいます。
 宋代の詩人蘇軾が19歳のとき、新婚の夜に、白磁のような肌をもつ16歳の新妻が燭光のもとで「心花怒放」となった姿を詠った詞を残しています(南郷子寒玉細凝)。魯迅『故事新編「奔月」』にも現われます。弓の名手である羿が、獲物がなかったため悶々としていて飛禽を見つけて鳩と誤って農家の母鶏を射てしまうところで、「心花怒発」がつかわれています。美空ひばりが命がけで歌った「不死鳥コンサート」(東京ドーム、1988年)も、歌謡史に残る「心花怒放」の舞台だったといえるでしょう。
 

  • 2019年10月16日(水)
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「黄河水清」(こうがすいせい)

 黄河は「一碗の水、半碗の泥」といわれ、「千年“黄河清”をみること難し」といわれて、「黄河水清」(『宋史「包拯伝」』など)は、あり得ないこと、得がたいこと例えとされてきました。瑞祥としては「黄河清くして聖人生ず」(李康『運命論』から)とされて、聖人の登場を希求する民衆の声ともなってきました。ところがいま全域で流下する泥砂の量が減り、上流はもちろん、内蒙古の河口鎮から濁流で有名だった壺口瀑布を経て鄭州の桃花峪まで1200キロの中流域がすでに“黄河清”となり、開封より下流も浅黄色を呈しているといいます。黄河水清」は史上43回も起こっており最長で20年、新世紀の「黄河水清」は前例のない現代中国「天下大変」の兆候となろうとしています。実景をみるなら「小浪底ダム(黄河三峡景区)」遊覧をおすすめします。
 出典の包拯は北宋時代清官で、役所を常時開門とし休まず身を処して善政をおこなった人物。包老が笑うのを人びとは「黄河水清」に例えて珍重したことから
 
  • 2019年10月09日(水)
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「食日万銭」(しょくにちまんせん)

 テレビでは料理番組ばやり。東京では世界各地から料理人が集まって、万銭のかかる料理が供されています。日ごとの飲食費が万の位を要するという「食日万銭」(『晋書「何曾伝」』から)のおこりは晋の何曾からで、何曾は司馬懿とともに曹氏政権を倒して司馬炎による晋朝成立の中心になり、丞相についた人物です。暮らしは贅をきわめ、宮中料理には箸をつけず(無下箸処)、自邸から持ち込むほどだったといいます。
 一方に人民と暮らしを同じくして食に倹素であることに「食に二味あらず」(食不二味。『春秋左氏伝「哀公元年」』から)があります。庶民の食卓はささやかな三菜一湯ですが、それにも満たない一食一品ですますこと。呉王の闔廬は「食は二味あらず、席(敷物)は重ねず」という倹素を君子の心がけのひとつにしました。孔子も「食は飽くを求むるなし」とし、斉の晏子も「食に肉を重ねず」を実行しました。指導者が飽食をほしいままにして滅びない国はなさそうです。「歓楽極まりて哀情多し」は世の常だからです。
 

  • 2019年10月02日(水)
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「対酒当歌」(たいしゅとうか)

「酒に対せよ歌に当たれ、人生いくばくぞ」酒と歌をたたえ刹那の人生を謳歌しているのは、三国時代魏の英傑曹操「短歌行」から)です乱世を生き延びはしたものの、「何をもってか憂いを解かん、ただ杜康あるのみ」と詠って、憂愁を胸に秘め曹操は65洛陽で没しました。男児25、女性も英傑の人生を支えています。杜康は周王室に酒を献じて酒仙に封じられたという酒づくりの名人で「杜氏」の祖といわれます。魏王曹操の憂いを解いた「杜康酒」を田中角栄首相は知っていて、1972年の日中国交正常化交渉の折りに周恩来総理にその有無をたずねて話題となりました
 この夏、東京で「三国志展があり、墓所高陵発見された傷ついた頭蓋紹介(写真)されていましたが、事実による考古の成果はそれとして真実の曹操はそんな愚かな姿を見せるわけがありません。王都を見下ろす首陽山を墓所とし杜康酒一樽をかたわらに、発見と展示で騒ぐ21世紀の後人の営為をほくそえんでいるはずです。
 

  • 2019年09月25日(水)
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「良賈深蔵」 (りょうこしんぞう)

 新車が並びスマホが新製品で競う時代であっても、「吾聞く」としてだれもが知って自戒のことばとしているのが、この「良い商人は値打ちのあるものは深く蔵して見せないものだ」という「良賈深蔵」(『史記「老荘申韓列伝」』から)です。司馬遷は「良賈深蔵若虚、君子盛徳容貌若愚」とつづけて、徳のある者の容貌は「愚のごとし」といっています。これは司馬遷がいきいきと記録している老子が孔子に伝えたことばです。
 孔子と老子は活動の時代が異なるとするのが後世の学者の立場ですが、洛陽の古い街並みを残す老城区に「孔子入周問礼楽至此処」の碑文があって、いわれを説明する現地の人たちにもありありと実感されています。孔子が「周の礼楽」を問うために周都の洛陽を訪れたときに応対に出たのが守蔵室の史であった老子で、驕気と多欲の目立つ孔子をこう諭したとされています。老子は別れ際に「富貴なる者は人を送るに財を以ってし、仁人なる者は人を送るに言を以ってす」をはなむけとしています。
 

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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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