- 2024年03月13日(水)
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「目撃道存」(もくげきどうそん)
釈尊が天竺の霊鷲山での説法で蓮の花をひねって「拈華微笑」(ねんげみしょう)した
とき、大勢の弟子たちの中で摩訶迦葉だけがその意味合いを微笑して理解したという逸話
から、禅宗の「不立文字」の奥義が生じましたが、ことばを介することなく凝視する目撃
によって「道」を受容する「目撃道存」(『荘子「田子方」』から)が道教の荘子の立場
となっています。晋代の「竹林七賢」のひとり阮籍は自著を残していますが、その言説よ
りも長嘯によって本意を伝えたといわれています。阮籍は気にそわない人物には「白眼」
で対したことで知られます。
ことばなく情意深く見つめることに「脈脈無言」があります。春の杏の花の季節を待ち
わびる想いにも用いられます。漢の司馬相如は意にかなわないため三年にわたって「黙黙
無言」でありつづけました。主君が民の願いを黙視するなら民もまたその支配に従うこと
ができないのが「黙黙無聞」であり、唐の韓愈はそれを「蔑蔑無聞」といっています。