- 2019年09月11日(水)
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「陋巷箪瓢」 (ろうこうたんひょう)
「陋巷」は貧しい者が身を寄せ合って住む街。「箪」は竹作りの食器。「瓢」はひょうたんの中身をくり抜いた酒や水を入れる器。孔子の弟子である顔回は、陋巷をわが住む街と決めて終始変わらず、一箪の食、一瓢の飲という貧しい暮らしにも泰然としていました。そんな弟子を孔子は「賢なるかな回(顔回)や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷にあり。人はその憂に堪えずも、回やその楽を改めず」(『論語「雍也」』から)とほめています。
曲阜の「孔廟」を訪れたら、大成殿などの大建築はさておき、孔子故宅にある「孔宅故井」を見落とさないこと。そこから300mほどの顔回が住んだ陋巷にある「顔廟」には「陋巷井」が残っています。さほど遠くない二つの井戸を訪ねると、「賢なるかな回や」という弟子をほめる師の声や顔回の早死を嘆く「ああ天、われを喪ぼせり」(『論語「先進」』から)と孔子が天に向かって慟哭する姿が偲ばれます。「陋巷箪瓢」(袁枚『小倉山房文集「第二十六首」』など)にはそれぞれ達意の人生が示されているようです。