- 2019年11月06日(水)
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「滄海桑田」(そうかいそうでん)
中国では全国をいうのに海に囲まれた日本の「津々浦々」ではなく「四海五湖」といいます。広大な海は変じて桑田(肥沃な大地)となり、桑田は変じて海となる。こういう事態の大転換を「滄海桑田」(儲光義「献八舅東帰」』など)といいます。ですから滄海は生産的存在ではありませんでした。「滄海遺珠」は大海でうしなった珍珠で、埋没してしまった人物やなくした珍貴な事物のこと。蘇軾は有名な「前赤壁賦」に長江の無窮と人生の須臾であることを大海に浮く一粒の粟に例えて「滄海一粟」といっています。
中国の人が海岸線をうまく書けないのは書く必要がなかったからでしょう。河川は東流して東海にそそぎ、「百川帰海」しておしまい。海に関心がなかったゆえの「滄海桑田」でしたが、その中国が東海の小さな島にまで関心をもつことになったのは、アメリカという大国が東海のむこうに出現したから。「桑田」も「滄海」もともに重要な存在であるという意味合いに変容しつつ、この四字熟語は新たな時代を生きつづけます。