- 2014年07月23日(水)
- しごと・社会
「強詞奪理」(きょうしだつり)
理がないことを強いことばで押し通そうとすること。『三国演義』では、蜀の諸葛孔明が呉地に乗りこんで、並み居る孫権配下の文武の論客を「強詞奪理」(「四三回」)で正論にあらず、といって次々に論破する場面で用いられています。
“知韓派”である習近平主席の訪韓の際(7月4・5日)には、両国の世論が、第二次大戦での軍事的侵略と慰安婦問題に対する日本政府の言動を「強詞奪理」といって批判し、漢風と韓流をつなぐ習主席の「風好正揚帆」という呼びかけを後押しして、経済・文化交融への蜜月ぶりを演出しました。来年に両国は「戦勝70年」を記念する行事を共同で展開することを決めています。安倍政権の「集団的自衛権」の推進は、70年の和平を破る「強詞奪理」として受け取られています。本来なら、三国の政府が共催で、欧米に立ち遅れていた東アジアの近代化の進展と経済・文化交流の成果を、「アジアの勝利」としてともに祝うことがみんなの願いなのですが。