- 2017年11月08日(水)
- ひと・個人(ふるまい)
「大巧若拙」(たいこうじゃくせつ)
『老子「四五章」』には、大(ほんものの)がつく四字熟語が列ねてあり、そのひとつがこの「大巧若拙」(大巧は拙なるがごとし)です。ほんものの「巧」というものは、自然に因って造らないために一見「拙」に見える。造れば目立つけれども、いずれは剥げ落ちてしまうもの。これも人為の実質を見透かした人の信言です。
美術の秋。画でも書でも美が極まって完璧にすぎるものは、どことなく窮屈です。形が整った完成品をめざしながら少しずらしたりする。「大巧若拙」という老子のことばを支えとして、「拙」に寄ることで「大巧」作品を得る。茶器には「沓茶碗」として「大巧」の実物を見ることができます。といって初めから「拙」によって「大巧」を求めても拙は拙。
「大巧若拙」とともに老子は「大弁若訥」(四五章、2013・7)をいいます。流暢な語りではなく、訥々とした語りのなかにほんものの弁舌を聞く。選挙戦に勝って万歳の合間に、地元民の声を訥々と紹介する議員の声を伝えた放送があったでしょうか。
美術の秋。画でも書でも美が極まって完璧にすぎるものは、どことなく窮屈です。形が整った完成品をめざしながら少しずらしたりする。「大巧若拙」という老子のことばを支えとして、「拙」に寄ることで「大巧」作品を得る。茶器には「沓茶碗」として「大巧」の実物を見ることができます。といって初めから「拙」によって「大巧」を求めても拙は拙。
「大巧若拙」とともに老子は「大弁若訥」(四五章、2013・7)をいいます。流暢な語りではなく、訥々とした語りのなかにほんものの弁舌を聞く。選挙戦に勝って万歳の合間に、地元民の声を訥々と紹介する議員の声を伝えた放送があったでしょうか。