- 2018年04月04日(水)
- -
「噤若寒蝉」 (きんじゃくかんぜん)
蝉噪といわれるほどに夏秋を謳歌したセミも秋が深まり寒冷のときを迎えると黙して死に備えます。権力者におびえて真正面から反論して正論を述べることをせず、寒蝉のように口をつぐんで自己保身にもっぱらな官人を「噤若寒蝉」(『後漢書「杜密伝」』から)と呼びます。官界がそうなってしまったとき社会正義の風潮は衰えざるをえません。
後漢時代の清官であった杜密は、宦官の子弟の違法行為を有罪としたことで故郷の頴川に移されます。同罪で故郷に帰っていた高官の劉勝が「閉門謝客」して世事を聞かず問わずにいることを知った杜密が、鳴かなくなった寒蝉と同じで官人としては社会的罪人であると責めたことから。身近にも実例の存在を感じますし、金正恩独裁政権の北朝鮮には常態としてあると想定されます。歴史上ではすべての官人が「噤若寒蝉」のなかでひとり李陵を擁護して宮刑を受けた司馬遷の例をあげておきましょう。
政治向きでなく唐突ですが、歌麿の春画のやりとりにも「噤若寒蝉」は必要でしょう。