- 2018年05月02日(水)
- くらし・家庭
「閉門謝客」(へいもんしゃかく)
門を閉じて外界との交渉を断ち客を謝絶するのが「閉門謝客」(『野叟曝言「二三」』など)です。さて閉門してどうするのか。「閉門思過」とくれば、みずから過ちを恥じて反省するため。「閉門読書」とくれば、静かに学問をすることに。さらに「閉門覓句(べきく)」とくれば、苦吟して詩作することに。わが内田百間の「忙中謝客」はこのあたりを装ってのもの。そして「閉門酣歌」となれば、酒肴を前に女性をはべらせ歌舞享楽を尽くすことに。「閉門」もみずから門を閉じてすごす悦楽は捨てがたいもの。しかし江戸時代の「閉門」は邸の門を閉じ出入りを禁じた刑罰(個人への刑が「蟄居」)でした。
「閉門造車」(朱子『中庸或問「巻三」』など)は、門を閉ざして車を造り、その車が規格に合致して門外で利用できること(出門合轍)。仏教徒が内奥の真理を究めて外に出て布教をおこなうような場合です。門外の規格に合わない車は使いものにならない。そこでのちには「閉門造車」は客観性を欠く主観的な立場や意見を指すようになりました。