- 2019年10月23日(水)
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「心花怒放」(しんかどほう)
この「怒」は勢いの盛んなこと。心中の喜びが一気に溢れ出るようす。ラグビー(橄榄球)の「ワールドカップ2019」の日本戦で、トライを決めるたびに、一人ひとりの観衆の「心花怒放」(李宝嘉『文明小史「六〇回」』など)が溢れて、観客席が何度となく異様な興奮とどよめきにつつまれました。もとは仏教で悟りの境地をえることでしたから、法悦にちかい共鳴を伝えることばといえそうです。「心花怒発」「心花怒開」ともいいます。
宋代の詩人蘇軾が19歳のとき、新婚の夜に、白磁のような肌をもつ16歳の新妻が燭光のもとで「心花怒放」となった姿を詠った詞を残しています(南郷子寒玉細凝肤)。魯迅『故事新編「奔月」』にも現われます。弓の名手である羿(げい)が、獲物がなかったため悶々としていて飛禽を見つけて鳩と誤って農家の母鶏を射てしまうところで、「心花怒放」がつかわれています。美空ひばりが命がけで歌った「不死鳥コンサート」(東京ドーム、1988年)も、歌謡史に残る「心花怒放」の舞台だったといえるでしょう。