- 2013年12月04日(水)
- 歴史・文化
「三更半夜」 (さんこうはんや)
旧暦では日暮れから日の出までを五つの刻みにわけて、初更〜五更と呼んでいます。そうすると「三更」が真夜中であり「半夜」でもあることから「三更半夜」(『宋史「趙昌言伝」』)というのは、いわゆる午前さまです。
宋都の東京開封(「清明上河図」に画かれる)は、平和を謳歌して深夜まで夜市で賑わいました。いまにその伝統はつづいています。塩鉄税の徴収官であった陳象輿と財政官であった董儼らは、夕方から深更まで熱心に税談議をしていたといいます。そこで都の連中からは「陳三更、董半夜」といわれました。能吏に三更まで税徴収の談議などされたら、夜市を楽しめない者もあったことでしょう。
冬の夜の東京は明るい。とくに霞が関界隈は、官僚の残業で明るい一角です。かつては国土発展の予算配分で深更までしごとをしている明かりでしたが、いまや増税による予算づくり。その「三更半夜」の明かりとなると寒さがつのります。