ない「好夢難成」のようです。が、痴人が説く夢である「痴人説夢」(『封神演
義「五三回」』など)」は、時代の潮流となって一世を風靡するもののようです。
唐代の故事ですが、「何」出身の僧伽は修行で周遊のとき、お名前は何?と聞かれて「姓
何」と答え、お国は何国?と聞かれて「何国」と答えて痴人とされました。去世したあと碑
文に「大師姓何、何国人」と刻まれたのを見て、後人は「痴人説夢」の典型としたのでした。
「痴人の前に夢を説く」(朱熹)というのは、愚昧な者に夢の話をする益のないたとえに。
現代も実情に合わない荒唐な話として強調する場面で用いられています。本邦のタイトル
「バカ本」の流行は、著者か版元かあるいは読者が「痴人説夢」指向なのでしょう。新世
紀20年余つづいた世代交代、若者化・“愛痴”化(バカ化)によって展開された時代変
革は、政治と経済の国際的な埋没とともに「痴人説夢」の事例を併発させているのです。
の期を迎え、黍(キビ)が実って広がる「麦秀黍離」(『史記「宋微子列伝」』など)
のとき。豊作の兆候は古来、「春節」で集う一族のくらしの安定につながり、豊かな「麦
秋」に農民は安堵してきたのです。ところが、殷末に暴君紂王を諫めた箕子は、かつて
の都城跡地の変貌の姿を目にして「国破家亡」の沈痛哀傷を味わったのです。
倭の奴国王や卑弥呼の遣いが訪れた王都洛陽は、滅亡ののち「漢魏故城」となり、北魏
時代に楊衒之は「麦秀の感、ひとり殷墟のみにあらず。黍離の悲しみ、周室のこと信なる
かな」(『洛陽伽藍記』から)と憂愁を深くしています。明治以降先んじて近代化する日
本に留学した人びとは、祖国の事情に「麦秀黍離」の悲哀を免れえなかったといいます。
しかし現代の「春節」にマイカーで帰郷する14億人の食を支える農業は基幹産業であり、
食料自給率を確保する本来の意味での「麦秀黍離」は、国家政策の要なのです。
とき、大勢の弟子たちの中で摩訶迦葉だけがその意味合いを微笑して理解したという逸話
から、禅宗の「不立文字」の奥義が生じましたが、ことばを介することなく凝視する目撃
によって「道」を受容する「目撃道存」(『荘子「田子方」』から)が道教の荘子の立場
となっています。晋代の「竹林七賢」のひとり阮籍は自著を残していますが、その言説よ
りも長嘯によって本意を伝えたといわれています。阮籍は気にそわない人物には「白眼」
で対したことで知られます。
ことばなく情意深く見つめることに「脈脈無言」があります。春の杏の花の季節を待ち
わびる想いにも用いられます。漢の司馬相如は意にかなわないため三年にわたって「黙黙
無言」でありつづけました。主君が民の願いを黙視するなら民もまたその支配に従うこと
ができないのが「黙黙無聞」であり、唐の韓愈はそれを「蔑蔑無聞」といっています。
]]>といいます。孟子は、実績を伴わない名声は水源のない水流のようなもので「君子はこ
れを恥」としています。常に当人に自省の意識があってこそ評価が成り立つというので
す。「声聞」にかかわる成語でよく知られているのは、後漢の歴史家班固が王位を簒奪
した王莽を評した悪、聞くに忍びず「悪不忍聞」。積み上げて得た「声聞」を痕跡なく
破壊し収拾つかなくするのが「声名狼藉」で、評判を聞いて驚き胆を喪う「聞風喪胆」、
民衆は怒りや哀しみを声に出せずに抑えねばならない「忍気呑声」に。
前世紀に国際的に先人が築きあげた名誉声望どちらも評価される「令聞令望」の日本
は、GDPで中国、ドイツに抜かれインドに迫られ、一人あたりGDPでは30位以下に
埋没して「声聞過情」の状況に陥っています。この「前代未聞」の状況を招いた君子
(政治家)はこれを「恥」として衆議院を解散し国民に信を問うしかないでしょう。
]]>いう長い平和がつづいた唐王朝が後退期にあることのさまざまな兆候を示して、もはや復
活再生することなく衰亡していったのでした。春を迎えて華やかに咲き誇る花を看ても悲
痛の涙が落ちるのが止まらないという「看花涙下」(『李商隠「義山雑纂」』から)の現
実。人為が自然の風景を壊す営みを詩人商隠は「殺風景」(「雑纂」から)と呼んで、捕
った獲物を川畔に並べる獺祭魚(カワウソ)のように並べて感懐を示すのです。
「看花涙下」「苔上鋪席」「花下曝褌」「果園種菜」「背山起楼」「焚琴煮鶴」「屠家
念経」「尼姑懐孕」「親情犯罪」「貧家嫁娶」「流汗行礼」「大暑赴会」「県官似虎」「市
井穢語」「乞児夜号」「舟中雨漏」「未語先笑」などを列挙しています。晩唐を感知する詩
人は馬車を駆って長安の楽遊原に登り夕陽に向かって「これ黄昏に近し」(「登楽遊原」)
と詠いましたが、令和の庶民は何をよしとしたら癒しを得られるのでしょう。
]]>れやかな学生の姿が見られました。そのことから、劉禹錫の詩「宣上人遠寄賀礼部王侍郎
放榜後」に「満城桃李属春官」と詠われて、これから成熟に向かう学生が多数いる情景
を喩えていうようになりました。春には花を、夏には樹陰を、秋には成熟して果実をもた
らし、根は薬用にしたことから「桃李満天下」とも。以後「満城桃李」は李廷珪の墨と
して珍重されることに。品格が優れて実績を積んでいる人のもとにはみなが慕い寄るとい
う「桃李不言、下自成蹊」は成蹊学園の建学精神になっています。
桃の里には陶淵明の「桃花源記」に由来する仙境「桃源郷」があります。湖南省常徳市
桃花県がモデルとされて観光地になっています。日本の「桃源郷」といえば山梨県笛吹市。
笛吹川の扇状地に日本一を誇る「桃の里」が広がっていて「ピンクの絨毯」となって季節
を彩ります。2024年の「桃源郷春まつり」は3月24日〜4月7日です。
]]>十巻」』など)です。要職にあった政治家が内心では裏金の件を知りながら、日ごろ使わ
ない喉の奥からの低い声でする「謝罪」がそれ。真意を伝え得ない言いつくろいがあらわ
です。単に「低三下四」とも。朱熹は『童蒙須知』で子弟に常に「低声下気」にして「浮
言戯笑」を禁じ、李汝珍は『鏡花縁』で「低声下気、恭恭敬敬」をいいます。
日ごろ自尊心の強い「無法無天」の性情まるだしの斉天大聖孫悟空が、真武大帝の面前
に出ると恭恭敬敬「低声下气、躬身行礼」に変じる姿が思われます。また唐代の詩人に王維
とともに山水詩で知られる孟浩然がいます。王維の詩の空気感に対して孟浩然の詩には現
実的接地感があります。「春暁」などの五言詩が得意でとくに「望洞庭湖贈張丞相」は千
古绝唱の「低声下气」诗とされていて、その結尾の10字「坐観垂釣者、空有羨魚情」
は少なからぬ人々の人生箴言として座右の銘になっています。
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みずからの過ちを革めて善(吉)にかえる時に、豹の斑紋のように鮮やかに対処することが「君子豹変」(『周易「革卦」』から)の本意です。日本の政治家は「君子豹変」の本当の姿を知らない。「裏金疑惑」でも、うわっ面だけを革める「小人革面」の姿ばかり。「豹」は生まれて18〜24か月のあいだ母親に寄り添って、生存のための行動から狩の技巧までを学んで自立します。そのあとは荒野で自己の力を鍛えてたくましく生育し、秋に生えかわる被毛の斑紋を鮮やかにして成獣に変貌していきます。
君子たる者(優れた指導者・政治家も)は、豹の成熟過程に習って歩一歩、自立心の強い人格を達成する「君子豹変」の道をたどるのです。卦の根底にあるのは「吉(吉祥)」の世の実現です。『周易』は、並みの人物を「小人革面」として合わせて指摘しています。わが国では「君子豹変」の本意を違えて、豹が獲物を狙うときのように、政治家が持論を勝手に変えて別の立場にくみする負の場面で使われています。
]]>株式会社 円水社
]]>日本では「安心立命」ですが中国では「安身立命」(『景徳伝灯録「巻十」』から)がふつうです。中国には個人が修身により天命に奉ずる「修身立命」(『孟子「尽心上」』から)があって(立命館大の名の由来)、個人と社会の安定は「天命」によるというのが、3千年紀の中国文明の要です。2千年紀のキリスト教文明を支える創造主「神(GOD)」の存在はないのです。この東西二大文明の較立が現代の命題なのです。
9月初めにローマ教皇が信者数1500人というモンゴルを訪問し、首都ウランバートルでミサを行い、1千万人ともいわれる隣国中国のカトリック教徒に「良きキリスト教徒、良き市民であれ」というメッセージを送りました。いま話題のChat(チャット)GPTを支える“倫理”でも、世界がキリスト教文明にならないよう、「安身立命」の独自の“倫理”を導入するでしょう。「安心立命」の日本は、2千年紀を海外渡来の文物を“国風”に整えて活用してきましたから、両様の“倫理”を文明の成果として巧みに両用するでしょう。
]]>日本ならお盆のお墓参りで起きそうな花を借りて仏に献じるという「借花献仏」(『過去現在因果経』など)は、古典の例では仏への敬仰の心が込められている仏教用語ですが、現代の中国では頂いた物品を他へ贈答に転用するといった際に用います。
仏教に関する成語は、中国に伝わって漢字に音訳(般若、三昧)や意訳(空、識)されて日本にもたらされました。中国での受容は、唐の韓愈のように古来の良俗を破る「傷風敗俗」の邪教として排斥した人物や時期がありましたが、儒教とともに仏教文化として定着し、「四字成語」も独自の意味合いで用いられて表現を多彩にしています。たとえば「安身立命」「善男信女」「極楽世界」「此中三昧」「百尺竿頭」「天花乱墜」「泥牛入海」「盲人模象」・・など。一方、日本では新たな意義を加えて日本化した内容をもつ熟語も少なくありません。たとえば「安心立命」「善男善女」「極楽浄土」「念仏三昧」「一期一会」「色即是空」「諸行無常」「末法思想」「廃仏毀釈」・・など。
]]>世紀をまたいで「亭亭玉立」の評をほしいままにしてきたのが1981年9月青島生まれの女優范冰冰。上海師範大学の影視芸術学院を出たあと、テレビドラマ「還珠格格」で注目され映画で主演、主演女優賞を次々に受賞。同年齢の「王朝的女人・楊貴妃」で艶麗な唐王朝の女性を再現して見せたのでした。が、2018年に巨額の脱税を暴露されて、当局から“死を賜う”ことになり、8億元余の追徴金・罰金を求められ、「玉立」の頓挫を見ました。夏に時めく睡蓮の「亭亭玉立」にはかわりありません。
]]>わが国はどうでしょうか。かつて神戸で孫文に「東洋の王道」を期待され、今回の「G7広島サミット」ではインドのモディ首相からガンジー像が贈られたように、地理的にも歴史的にも国際的橋渡しの役目があるのです。ロシア(下院)から非友好として「第2次大戦終結の日」を可決されるようでは「朗朗乾坤」のレベルが不足のようです。
]]>晩清の梁啓超にも中華再興の「百年之業」が意識されていますが、現代中国には人民共和の特色ある社会主義100年の大業が見えています。日本には国に「百年之業」がなく、民衆は「百年人生」と重ねて民主主義の大業を成就するのでしょう。
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古来、中国の王朝の勃興期には陰で活躍する大富豪がいて政権を経済的に支えています。越王勾践につかえて富豪となった范蠡は財神、商祖とよばれ、「奇貨可居」(奇貨なり居くべし)と叫んで全財産を秦の子楚(始皇帝の父)につぎ込んだ吕不韋は相国となって『呂氏春秋』を編んでいます。近代では太平天国時代の胡雪巌と宗姉妹の父宗子文などが名を連ねています。この日に一斗の金が入ってくるという「日進斗金」は、屈指の大富豪といわれる胡雪巌に因む近代発祥の実用成語です。
新中国勃興期の現代も、IT企業や建設、流通などで大富豪の登場が想定されて、中国政府はそれを見越して「共同富裕」の政策をかかげています。が、一方に亞聖孟子が説いた「上下こもごも利をとれば国危うし」を歴史の教訓として文明大国をめざすのですから、「利」ばかりをいうわけにいきません。庶民のほうはわが家が富裕になれるよう、「日進斗金」をデザインした年画を張って新しい一年に期待するのです。
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急速な都市化への懸念から「茂林修竹」への関心が高まっているようです。四川の岷江流域では「茂林修竹」と美田によって錦絵のような蜀風雅韵を残そうとし、武漢近郊では山,湖,竹林に囲まれた別荘での隐居を広告しています。郷村社区でも緑道、公園、景観に竹という生活圏が指向されています。わが国では竹の需要がなくなり放置されて繁茂した竹林が目立ちます。竹の効用を見直し、森林総合監理士(フォレスター)やSDGsの見地からの「茂林修竹」の整備が急がれる課題です。
]]>仏教は日本でも広く受容されて、四字熟語も「自由自在」「不可思議」「一念発起」「四苦八苦」「自業自得」など、それと気づかないほど多くあります。中国でも「拈華微笑」「不生不滅」「超塵抜俗」「面壁九年」「唯我独尊」など。唐代に玄奘が漢訳した『般若心経』が読誦・書写されています。真実の智恵(ハンニャ)の精髄(心)を述べた経とされ、その核心が「色即是空 空即是色」です。生命(人)は形「色」を持って活動するが無常であり、不滅の「空」を知って修行によって仏性をえて「涅槃」を迎えるのが至上と説いています。西洋の「神」とは異なる東洋の存在論(文明論)なのです。
]]>もうひとつ三と二にかんして「三平二満」に触れておきます。「脱貧」を成し遂げて政府は「共同富裕」を次の目標としていますが、不平不満はあっても人民は、貧しくなく暮らせる「小康」が何よりなのです。豊かさには遠く格差が多少露出しても。
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