東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

「言笑自若」(げんしょうじじゃく)

 毒矢が左ひじを貫き毒が骨に及んだため、関羽は名医華佗の手術に左腕をまかせます。血がしたたり落ち、盆に溢れるその間、関羽は肉をほおばり、酒を飲み、諸将と平然として談笑しつづけたといいます。華佗はすでに外科手術に麻酔を使ったようですが、それにしても「言笑自若」(『三国志「蜀書・関羽伝」』から)は、三国時代蜀の英傑関羽の持つ稀代の豪胆さを伝えるのに相応しいことばです。

文聖といえば孔子、武聖といえば関公。頼りになる両者ですが、海外各地で華人が展開する中華街には必ず関帝廟が設けられて、豪快な関羽像が祀られるようになりました。もちろん横浜でも神戸でも長崎でも出会えます。

この激痛に耐えて「言笑自若」している関羽を思えば、少々のピンチにあわてることもないでしょう。「談笑自若」(『三国志「呉書・甘寧伝」』という場合もあるようですが、ここは関羽伝の厳とした「言笑自若」でいきます。

「冰心玉壺」(ひょうしんぎょくこ)

 中国ではスマートフォン(知能手機)の広告に「一片冰心在玉壺」をみます。終生変わることのない友情の証として、氷のような澄明な心を玉製の壷に入れておくことを「冰心玉壺」(王昌齢「芙蓉楼送辛漸詩」から)といいます。唐の詩人王昌齢が長江沿いのいまの鎮江から都の洛陽へゆく辛漸に、「一片の冰心玉壺に在り」の詩句を託したことからで、「一片冰心」あるいは単に「冰壺」ともいいます。ただし現代の「冰壺」は冬季スポーツで人気のカーリングのことです。

 友を思う「冰心」は今も昔も変わりありませんが、現代の「玉壺」はパソコン(個人電能)でしょうか。フォルダ(文件挟)に澄明な心で付き合える友人の名前とメール(電子郵件)が保管してあり、さらに一片また一片と増えていくようすに例えられそうです。しかしスマートフォンを手軽に持ち運んで、忘れたり落としたりしたのでは「良師益友」に申しわけが立たなくなりそうです。

  • 2013年02月13日(水)
  • 自然

「雪中高士」(せっちゅうこうし)

 梅は寒中に花を咲かせます。雪中の梅の木を高潔の士に見立てて「雪中高士」(『高青邱詩集「梅花」』から)といいます。ご存じ、松竹梅の三つを「歳寒三友」と呼ぶのは、多くの植物が厳冬のさなかに息をひそめても、松と竹は姿あせずに過ごし、梅は寒中に花を咲かせるからで、三品の格は日中ともに高位の松から梅にいたりますが、甲乙は付けがたいところです。

「歳寒三友」といえば詩画はもちろん、磁器や織物の意匠としても好まれて、だれもが心を静かに支えてくれる親しい三友を持って暮らしています。雪中の梅はたたずまいも花も香もよく、寒に耐えて命を保つ風情は節を持する高士と呼ぶにふさわしい。作者の高啓と花といえば、よく吟じられる「水を渡り復た水を渡る、花を看還た花を看る」(「胡隠君を尋ぬ」から)が有名ですが、この花は春風江上の路でのものなので、江南の春の桃李のようです。

乾坤一擲(けんこんいってき)

 その大地の一角に立つと天地をとよもす鬨の声が聞こえてきます。北には足がすくむような崖下を黄河がとうとうと東流し、右岸を切り割って幅300mほどの深い鴻溝(広武澗とも)が行く手を拒んでいます。

かつて項羽の楚軍と劉邦の漢軍がここで対峙したもののともに渡れず、両岸から鬨の声をあげ、挑み合ってのち鴻溝を境に禹域を東西に二分して別れました。漢覇二王城と呼ばれます。のち唐の韓愈はみずから軍を率いてここに至り、「一擲して乾坤を賭す」(「過鴻溝」から)と詠じて出陣しています。「乾坤」は天と地のこと。「乾坤一擲」は、ひとたびサイを投じて天か地か、賭けに出ること。

どこにいてもいい。人生をかける事業に挑むに際して、天にむかって拳を突き上げ、「乾坤一擲!」と叫んでみる。漢楚両軍の鬨の声が天地を振るわせ、人を奮い立たせて、勝利をわがものとする力を得ることができるにちがいありません。

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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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