東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

「一目十行」 いちもくじゅうぎょう 

 「一目十行」(『紅楼夢「第二三回」』など)というのは、「一目して十行書を読む」ことで、速読の能力をいいます。「十行倶下」(十行ともに下る)ともいいます。ひと目で十行なら多読も可能ですが実際にはどうでしょうか。新著紹介欄の担当者には「巻頭十行」+「巻末十行」でOKなどもあって、こちらは「一目了然」「一目即了」あるいは「一覧了然」の境地で、ここでの話題からは少しずれます。

読書ではなく看書ですから「跳躍式」に看て、文脈の核になる語を探し当てて関連づけて文意を得ることになります。書物の上を流す視線の先で、書き手の意図を伝えるキーワードが次々に立ってくる。読み手の奥義です。漢字は表意文字なのでそれが可能だというのです。実際に臨沂の高校生(教科書だけで780万字)が試みて一年で3倍(理解率80%)、なかには「一目十行」といっていい程の者もいたようです。やや遠慮して「一目五行」や「五行併せ下る」というのも控えにあります。

「邯鄲学歩」(かんたんがくほ)

 田舎育ちの若者が都ぶりを学ぶとしたら原宿・渋谷・青山あたりでしょうか。

北国の燕の田舎からひとりの若者が都ぶりの歩き方を学ぼうとして、趙の都の邯鄲にやってきます。「邯鄲に歩を学ぶ」(『荘子「秋水篇」』など)お話です。
 しばらく努めてみたもののサマにならない。あきらめて故郷へ帰ろうとしたら元の歩き方を忘れて歩けない。そこで這って帰るしかなかった。あこがれて都会へ出たものの挫折して故郷に帰る。故郷でも受け入れられなくなる、というお話です。

中原の古都であった邯鄲にちなむ成語は一五〇〇余もあって、「成語典故の郷」と称しています。市内に「成語典故苑」を設けて彫像や碑文にして展覧しています。よく知られるものに「黄粱一睡(邯鄲の夢)」「刎頸之交」「完璧帰趙(完璧の典故)」「奇貨可居」「背水一戦」それにこの「邯鄲学歩」も。いまも明代の「学歩橋」が沁河に架かっています。「蘭陵王入陣曲」は日本から邯鄲に「秘曲帰趙」しています。

「著作等身」(ちょさくとうしん)

 著作が作者の身長に等しくなるほどに多いことを「著作等身」(趙岱「陶庵夢憶序」など)あるいは「著述等身」といいます。竹簡に手書きしていた時代は「汗牛充棟」や「学富五車」でしたが、紙に記される時代になって「等身」が多作であることの形容に用いられました。

宋代には蔵書や読書量が多いことで「等身書」(読書等身)がいわれ、その後に「著作等身」が用いられたようです。印刷時代の「等身書」は4000万字といいますから等身高は稀れのうち。「他人が珈琲を飲んでいる時も書いていた」と記す魯迅でも1100万字といいますから「著作半身」にも及ばないようです。

 さて、IT革命の後には多作の人をどう表現するのかわかりませんが、それでも「著作等身」は、分量よりは著作態度が等身大であること、率直な自己表現によって共感を得るといった意味合いで実感をもって残ることでしょう。

年年歳歳(ねんねんさいさい)

 例年の「サクラ前線」もなく東北を除いていっせいにサクラが開花。東京・上野公園も3月22日(金)には高知などと同時に満開を迎えて大賑わいに。3・11から2年、アベノミクス効果も重なって浮かれすぎという評がちらほら。

ところで「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」(劉奇夷「代悲白頭翁」より)の花は桜ではなく、唐の都洛陽の城東に咲き誇った桃李でした。花は年々変わりなく咲くけれど、むかし「紅顔の美少年」も、いまは白頭の翁に変わってしまった、と遠い日に思いを馳せて「人同じからず」と時の過ぎゆきを省みているのです。もちろん花の下に集う人びとも年々変わっていきますので、日本では春の人事異動や入学・入社式に頃合いのあいさつとしてよく引用されています。

 実は「花も同じからず」で、いま「花城」洛陽の春に咲き誇るのは大輪の牡丹です。4月中旬の「牡丹花会」には全土から花見客が訪れるようです。

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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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