東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

「両袖清風」(りょうしゅうせいふう)

 TV局の冷房の効いた部屋で、背広を着てワイシャツの襟だけ空けて「クールビズ」を装う解説委員が、電力を確保する「原発再起動」について解説しています。盛夏の午後のひととき、梅雨あけの「電気予報」を気にしながら視聴する方は、ゴーヤのつくる日蔭の窓辺でウチワ片手に浴衣掛け。風が立つたび両袖に清風が戯れます。

「両袖清風」は、橋上を月に随って歩む心地よい実景を詠った元代の陳基の詩によって知られます。が、明代になると兵部侍郎の于謙が、黄河の氾濫で災禍にあえいでいた河南地方での任務を終えて京に戻るにあたって、礼品をいっさい受け取らず、寸物も帯びずに京へもどる晴れがましさを「清風を両袖にし、天(みやこ)に朝(むか)いて去る」(『于粛愍公集「入京」』から)と詠んだことから、以後は実景ではなく清廉な官吏をいうこととなりました。

「両袖清風」を実感できる「和装」もまた貴重な世界の文化遺産です。

「強詞奪理」(きょうしだつり)

 理がないことを強いことばで押し通そうとすること。『三国演義』では、蜀の諸葛孔明が呉地に乗りこんで、並み居る孫権配下の文武の論客を「強詞奪理」(「四三回」)で正論にあらず、といって次々に論破する場面で用いられています。

“知韓派”である習近平主席の訪韓の際(7月4・5日)には、両国の世論が、第二次大戦での軍事的侵略と慰安婦問題に対する日本政府の言動を「強詞奪理」といって批判し、漢風と韓流をつなぐ習主席の「風好正揚帆」という呼びかけを後押しして、経済・文化交融への蜜月ぶりを演出しました。来年に両国は「戦勝70年」を記念する行事を共同で展開することを決めています。安倍政権の「集団的自衛権」の推進は、70年の和平を破る「強詞奪理」として受け取られています。本来なら、三国の政府が共催で、欧米に立ち遅れていた東アジアの近代化の進展と経済・文化交流の成果を、「アジアの勝利」としてともに祝うことがみんなの願いなのですが。

「有征無戦」 (ゆうせいむせん)

 戦場へ兵を送っても、犠牲者がでるような作戦をおこなわないことが「有征無戦」(征有れど戦うことなし。『漢書「厳助伝」』など)です。大義によって立つ討伐であれば、戦闘をおこなわなくとも制圧して勝利を得ることができるというのです。

殷の紂王の軍が「前徒倒戈」(前面の兵が武器を逆に倒す)して周の同盟軍に降った有名な「牧野」の戦いは「不戦にして勝つ」(不戦而勝)ことができた一例です。皇帝は臣下から上書を受けて「有征無戦」を旨として正義の兵を送るのですが、戦わずして勝つには、兵士もまた和平を願う「有志之士」でなければならないでしょう。

平和主義の「憲法」を持つ国からの軍隊として送られ、イラクの“戦場”で一兵も損うことなく任務を遂行した「日本の自衛隊」。その稀有な国際的イメージを変容させる「閣議決定」がなされました。和平への手段を語らず、戦場協力による抑止力をいう総理の内閣の決定は、国民にも国際的にも容れるところとはならないでしょう。

「弦外之音」(げんがいしいん)

 春秋時代に琴の名手に伯牙がいました。鐘子期は傍らでその音の趣のあるところ「弦外之音」(袁枚『随園詩話「第八巻」』など)をしっかりと聴き窮めたといいます。「あなたの聴くところわが心のごとし」として伯牙は認め、鐘子期の死後はわが音を知る者なしとして「破琴絶弦」(『呂氏春秋「本味」』から)したといいます。

聴衆の質の高さが名演奏を引き出す要件であることは確かなことで、音楽の表現力には極まりがないようです。「言外之意」を察するのもむずかしいですが、「弦外之音」や「甘余之味」となるともっと微妙な領域のようです。

 中国でのロングセラー『傅雷家書』の翻訳が「君よ弦外の音を聴け〜ピアニストの息子に宛てた父の手紙」として出ています。ロマン・ローランなどの翻訳家であった傅雷と夫人(1966年文革時に服毒自殺)が、息子の傅聡と傅敏に宛てた書簡集で、父親の息子たちへの呕心瀝血」の愛が深く込められて響いています。

  • 2014年07月02日(水)
  • 植物

「日上三竿」(にちじょうさんかん)

日が竹の三つ目の節あたりまで上がっているということで、朝寝坊のこと。当初は日が上がって竹のむこうの春霞が消えるといった詩的風景の描写に用いられたようですし、相愛の男女の「日上三竿」(『東周列国志「一三回」』など)はうらやましいかぎりですが、昨今はみんなが働きはじめている時間に起きるという後ろめたい意味合いの朝寝坊専用の成語です。

それでも「全国大学統一入試」(高考)を終えたあとの子どもたちの「日上三竿」にはみんな肯定的です。一方で、FIFAサッカーを深夜に見たり、週末に夜更かしして翌朝のしごとに差しつかえる「日上三竿」には、周囲の目はきびしいようです。

戦乱に明け暮れた時代には、「高枕して憂いなし」(高枕無憂。『戦国策「魏策」』など)は悲願でした。先人が命がけで残してくれた平和な時代に、高枕して憂慮なく睡眠がとれる幸運を思えば、少々の憂いなどものの数ではないでしょう。




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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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