- 2015年02月25日(水)
- しごと・社会
「官官相護」(かんかんそうご)
「刑は大夫に上らず」(『礼記「曲礼上」』)というのは、大夫(高級官僚)は倫理的に鍛えられた素養を持っているので罪を犯すことなどありえないという前提で刑を免れる特権があったのですが、急激な経済成長の陰で表面上の清廉さを保つ「官官相護」が腐敗の温床になっているということで、いまは軍といえども“特区”はないという習近平政権下で、厳格な「反腐敗」告発が各地各界に広がっているようです。
「刑は大夫に上らず」(『礼記「曲礼上」』)というのは、大夫(高級官僚)は倫理的に鍛えられた素養を持っているので罪を犯すことなどありえないという前提で刑を免れる特権があったのですが、急激な経済成長の陰で表面上の清廉さを保つ「官官相護」が腐敗の温床になっているということで、いまは軍といえども“特区”はないという習近平政権下で、厳格な「反腐敗」告発が各地各界に広がっているようです。
有名ホテルが「吉祥如意年夜飯」(日本のおせち)を提供して、離れて暮らしている家族が手狭な自宅ではなくホテルに集まって、NHKの「紅白歌合戦」にあたる「春晩」(CCTVの「春節聯歓晩会」)をみる「除夕」の過ごし方にも人気があるようです。各地放送局の同種の番組が好まれて、視聴率は10%ていどまで落ちていますが。
学問・芸術・事業のはじめに当たって、必ずやってくる秋での結実は平素からの努力のたまものであることが強調されます。そして成果の秋には、芸術分野では「春華秋実展覧(展演)」がみられ、事業では創設何周年かの「春華秋実」がいわれます。
日中の文化交流でも「一衣帯水」とともによく用いられます。友好都市では明石市が無錫市から友好記念として「春華秋実」旗(2001年の20周年)を贈られています。民間の投資・貿易による秋実はなお先のことで、務めなければ時だけが流れて成果のない「春来秋去」や「春生秋殺」ということになります。
西暦57年2月初めに洛陽で62歳で崩じましたが、その正月に東夷倭奴国王の遣使の奉献を受けて「漢委奴国王」の金印を贈ってねぎらったのが最後の務めとなりました。日中交流の事績が、戦戦兢兢として日また一日を精勤にまっとうした皇帝劉秀の姿とともに残ったのは歴史の幸運でした。