- 2015年12月30日(水)
- くらし・家庭
「能者多労」(のうしゃたろう)
磨きあげられた鏡はいつ映しても何度映しても“疲れ”を見せることはないというのが「明鏡不疲」(劉義慶『世説新語「言語」』など)です。磨かれた叡知・技術というものは使っても損なわれることはないのだから、優れた師や先輩はどしどし使おうではないかというのが後人の立場からの理解です。
磨きあげられた鏡はいつ映しても何度映しても“疲れ”を見せることはないというのが「明鏡不疲」(劉義慶『世説新語「言語」』など)です。磨かれた叡知・技術というものは使っても損なわれることはないのだから、優れた師や先輩はどしどし使おうではないかというのが後人の立場からの理解です。
かつて「花花世界」といえば、都を追われて南遷(東晋)した人びとが奪回しようとした東京(開封)や西京(洛陽)のことで、「中原花花世界」と呼んで慕いました。近くは香港がひとしきりそうでしたし、すでに北京や上海で同名の服飾店が賑わっているようですが、本物の花花公子の登場はまだ遠い先のこと。
アメリカでは、月刊『花花公子』(プレイボーイ)誌が1953年創刊号のM・モンロー以来ウリにしてきた女性フルヌードを来年3月から掲載しないと決めて「男性エンターテイメント」誌として転回を図る時期を迎えています。
『三国演義「二二回」』には曹操配下の劉岱が残兵をつれて逃げているとき、張飛と「狭路相逢」して回避することができず、馬を交えて戦ってただの一合で生け捕りにされる場面があります。いまでも車が行き交えない路での「狭路相逢」などはよく経験するところです。のっぴきならない出合いをどういう方法で収めたのかは興味のあるところですから、日ごろのニュースでよく出合います。
大成を期待されて故郷を出て、中央での栄達を果たして「錦を衣て郷へ還る」(衣錦還郷)はよく知られていますが、志を得ずしてひっそり帰る「白首空帰」の人もまた多くいるのです。ほどほどなのに「空手」や「白首」はいささかきつすぎますが。
湖北料理に桂魚を使った「満載而帰」という伝統料理があるようです。桂魚の頭と尾を残して背骨を抜いて元宝(馬蹄形の金銀貨幣)に見立てて舟形にし、豚肉や卵やキノコほかの多彩な具を満載して供するもの。宋代の蘇軾は東玻肉で有名ですが、湖北出身の米芾はこの「満載而帰」で張り合ったと伝えられています。
保存しておいた穀物を食べ尽くしたのに、次の収穫がまだ得られないことを「青黄不接」といいます。不作の場合もあるし、税の取り立てが厳しい場合もあるし、兵乱によって持ち去られたこともあります。こうなっては赤信号です。
不況の影響でしごとや収入が減り、年々に税が増えて「青黄接せず」という赤字の家計が増えつづけたらたいへんなことになります。