- 2016年01月27日(水)
- 鉱物
「掌上明珠」(しょうじょうめいじゅ)
掌中にできない明珠としては美しい夜のまちが例えられ、「東方明珠」といえば上海の呼称です。浦東地区に建てられたテレビ塔が「東方明珠電視塔」(四六八メートル)で、上海の観光スポットになっています。白居易の「大珠小珠玉盤に落つ」(「琵琶行」)から想を得て大小11個の明珠を連ねて設計されています。
掌中にできない明珠としては美しい夜のまちが例えられ、「東方明珠」といえば上海の呼称です。浦東地区に建てられたテレビ塔が「東方明珠電視塔」(四六八メートル)で、上海の観光スポットになっています。白居易の「大珠小珠玉盤に落つ」(「琵琶行」)から想を得て大小11個の明珠を連ねて設計されています。
「雪中高士」(高啓「梅花詩」から)といえば、梅の木を君子に見たてたもの。雪中の梅はたたずまいよく寒に耐えていて、節を保持する高士と呼ぶにふさわしい。
「3・11大震災」直後のTVニュースで、混乱する事務室の壁に墨も鮮やかな「雪中送炭」の張り紙があったことを思い出します。「雪中送炭」と「雪中高士」とは、雪国が生んだ品格のある心強い四字熟語です。
李白は酒を一斗飲んで詩を百篇つくったという杜甫の詩句「李白一斗詩百篇、長安市上酒家眠」からですが、市内の酒家で眠ったばかりか天子のお呼びにも応じずに「自称臣是酒中仙」というありさま。ですから玄宗の支えはあったものの宦官の高力士と楊貴妃にうとまれて長安を追われ、東都(洛陽)にきます。李白はここで科挙に受からず故郷で鬱々としていた杜甫と出会って意気投合、酒を飲み詩を詠じ、後に被(掛け布団)をともにする旅をしました。李杜の出会いは李白四四歳、杜甫三三歳のことでした。杜甫の「斗酒百篇」は実感からで、酒の詩三百では酒仙李白に勝りますが、呑みっぷりも詩作の量も李白には敵わなかったのでしょう。
平成28年・2016年の干支は丙申(かのえ・さる)で、賀状にも多様な表情の猿が新年のごあいさつに参加しています。ここでは逆に追い詰められて窮地におちいった猿は、木を択んで跳んでなんかいられない、林に逃げ込んでしまうという「窮猿投林」(『晋書「李充伝」』から)についての新たな理解に触れたいと思います。
王羲之と同時代人の李充が、記室参軍(軍の文書起草や記録表彰)では“家貧しい”ゆえに「窮猿投林」といって地方官(県令)を選んで出たことから、進退の処し方として用いられています。李充の母(衞鑠)は王羲之が若き日に書法を学んだことで知られる衞夫人です。中央でのしごとの不満が母子にあったのでしょう。李充はのち「文義冠世」の仲間とともに王羲之の蘭亭の宴に連なっています。
内閣府は女性管理職30%を掲げていますが、70%もの女性が管理職になりたくないといいます。このあたりの実情が新たな理解の助けになりました。