東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

「登堂人室」(とうどうにゅうしつ)

 学問や技芸などが深く高い境地に達したことを「登堂入室」(宋・呉坰「五総志」など)といいます。中国の住まいは門があり堂(客間)がありその奥に室(私室)があるというつくりですから、客人は入門して登堂してさらに入室するという段階を踏むことになります。孔子が子路の瑟のひき方を「由(子路)や堂に昇れり、未だ室に入らざる也」(昇堂入室・『論語「先進」』)と評したのは、堂にまで昇ったのだから遠からず入室できるよ、という師の励ましを伝えています。
 それがいまは「登堂入室」で到達したという使い方になっています。茶芸師の技能大会は「登堂入室」の域にあるなどといわれます。現代では「誤用」というわけにはいかないでしょう。そこで「登堂難入室」となります。ライト・イノベーションといわれるLEDが価格の点で、割安の民営航空も安定感で、レベルアップしているとはいえ「web文学」もなお「登堂難入室」の域にあります。
 

「一落千丈」(いちらくせんじょう)

 琴の音が最高音から一気に最低音に至ることを「一落千丈」(韓愈「聴穎師弾琴」など)といいます。なるほどこれは千丈だと思わせる落差があります。琴の名手といわれ「幽憤詩」に秀でていた嵆康が刑死にあたって弾じたという「広陵散」の「一落千丈」なら、大地に響いて余韻嫋々いかばかりであったかと想像されます。
 実尺で1丈は約3m(中国は約3.3m)に当たりますから、地震によって突然に起こる数十メートルの土砂崩れでも恐ろしいのですから、何につけ千丈の落差はやはり想像に絶します。
 さてわが世にも「一落千丈」で例えられる事象がさまざまあって、みなさんは何を思うでしょうか。国際オイルの価格、ブラジルの経済、革新政党の得票、コンピューターに負けた囲碁九段、子育て政治家の浮気、プロ球界スーパースターの薬づけ、清純派女優の離婚での罵り、子どもの成績、いえない産後性欲・・。

「不恥下問」(ふちかもん)

 後輩や目下の者に対しても問うことを恥としないことを「不恥下問」(『論語「公冶長」』から)といいます。とくに学者の中には下問を恥とする向きもあってできないことのようです。『論語』では弟子の子貢が、孔圉(こうぎょ)という人物が諡(おくりな)として最上である「文」の字を得て孔文子と呼ばれていることを疑問にして、あの程度の人物になぜ「文」が許されるのかと問うたところ、孔子の答えは「敏にして学を好み、下問を恥じず」というものでした。学問の問のありようの基本にかかわる「下問を恥じず」を評価したことばです。ちなみに唐の「文公」は韓愈ですし、宋の「文正公」は司馬光、「文忠公」は欧陽修や蘇軾です。
 和食が世界遺産に登録されたのにあやかって制作された『武士の献立』で、加賀藩に仕えた庖丁侍の舟木伝内(西田敏行)が息子の嫁(上戸彩)から料理を学ぶ場面の「不恥下問」ぶりの演技には文の味がありました。
 

「哀而不傷」(あいじふしょう)

 詩歌や音楽が優美に湧きあがろうとする感情を適度に抑えて表現されていることを「哀而不傷」(『論語「八佾」』から)といいます。こういう作品は生きる喜びを伝えてきました。『論語』では、孔子が「関雎(かんしょ)」という詩の曲調について、「楽而不淫、哀而不傷」と評しています。訓読では「楽しみて淫(いん)せず、哀しみて傷(やぶ)らず」と読んでいます。淫は現代では性的に狭義に使われますが過度にならないこと。「哀而不傷」は「四字熟語の愉しみ」になくてならない一語です。
 中和の美をたもち哀切さを帯びた感情表現は奥ゆかしく心が洗われます。小沢征爾が「二胡皇后」といわれた惠芬の古楽器演奏で「江河水」を聴いて、「人間の悲切さが奏し出されている」といって感動の涙を流したことがありましたが、それが「哀而不傷」です。比喩としては、極端な左右の立場を制して、過不足なく調和がとれている活動に用いられています。
 
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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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