- 2016年07月27日(水)
- 歴史・文化
「一字之師」(いちじのし)
晩唐の詩人鄭谷が袁州府にいたころのこと、僧の斉己が自作の詩を携えて訪れます。「早梅詩」というタイトルで、「前村深雪裡 昨夜数枝開」とあります。見て鄭谷は「数枝では早とはいえない。一枝がいい」といいます。斉己は覚えず拝して身を投げ、これよりみなが鄭谷を「一字之師」(『海録砕事「師授門」』など)と呼びました。それ以後、「一字之師」は数多く記録されることになります。
それ以前にもあって、有名なのが「推敲」の故事でしょう。中唐の苦吟詩人賈島が科挙でやってきた長安の街中で、「鳥宿池辺樹 僧推月下門」の句を得たあと「推す」だけでなく「敲く」にも気づきます。が、いずれかに決められない。と、ロバが大官の列にぶつかって、つれていかれたのが韓愈の前でした。賈島は「推・敲」の悩みを述べ、聞いて韓愈は「敲がよい」と答えて「一字之師」となったのでした。この方が故事成語にふさわしいのですが、いわれは動かせません。