東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

「一字之師」(いちじのし)

 晩唐の詩人鄭谷が袁州府にいたころのこと、僧の斉己が自作の詩を携えて訪れます。「早梅詩」というタイトルで、「前村深雪裡 昨夜数枝開」とあります。見て鄭谷は「数枝では早とはいえない。一枝がいい」といいます。斉己は覚えず拝して身を投げ、これよりみなが鄭谷を「一字之師」(『海録砕事「師授門」』など)と呼びました。それ以後、「一字之師」は数多く記録されることになります。
 それ以前にもあって、有名なのが「推敲」の故事でしょう。中唐の苦吟詩人賈島が科挙でやってきた長安の街中で、「鳥宿池辺樹 僧推月下門」の句を得たあと「推す」だけでなく「敲く」にも気づきます。が、いずれかに決められない。と、ロバが大官の列にぶつかって、つれていかれたのが韓愈の前でした。賈島は「推・敲」の悩みを述べ、聞いて韓愈は「がよい」と答えて「一字之師」となったのでした。この方が故事成語にふさわしいのですが、いわれは動かせません。

 

「一琴一鶴」(いちきんいちかく)

 古琴を収めた布袋と白鶴を放した竹簍を馬の背の両辺に荷駄として積んで、宋代の趙抃(ちょうべん)は、任地の蜀(成都)へ向かったそうです。任地へ帯同したのが琴と鶴だけ。それが行装のすべてというのは、いささか際立ちすぎます。
 古来、ふたつとも文人の高雅不俗のシンボルとはいえ、趙抃の「一琴一鶴」(沈括
『夢渓筆談「巻九」』など)は噂になり、神宗の耳にも入りましたが、帝は叛意の行為とせず、上任の「行装簡少」のすがたを賛賞した上で「精兵に奪い取りにいかせよう」と伝えたといいます。趙抃の剛直ぶりは「鉄面御史」と呼ばれたことで知られます。
 竹林七賢のひとりで、執行の日に秘曲「広陵散」を弾き終えて刑場に臨んだという琴の名手嵆康と「鶏群一鶴」といわれた子の嵆紹の親子の姿が趙抃の行装と重なるのは思い入れの類でしょうか。趙抃の「一琴一鶴」が有名で、「為官清廉」が含意になりましたが、先立つ唐代には官に付かず隠遁した意味合いで用いられていたようです。


 
  • 2016年07月13日(水)
  • 自然

「随車夏雨」(ずいしゃかう)

 官吏の訪れによって民衆の憂いを解く仁政を「随車夏雨」(『芸文類聚卷五十「職官部六・刺史」』から)といいます。後漢末のころ、百里嵩が徐州刺史(州の長官)であったとき、清廉でよく民情視察をおこない、百姓の疾苦の解消を怠らなかったのですが、ある年の夏、干天がつづいて穀物の苗は枯れ、赤土が剥き出しになりました。特に州境の山間部がひどく、農民から解決を求められて、百里嵩は車で視察に向かいます。車の巡る先々で「感天動地」、大雨がふって穀物の苗が生き返り、人びとは「刺史雨」と呼んで彼を讃えたといいます。「随車甘雨」ともいい、甘雨はやや神がかりですが、常に地域住民の安寧を願い、民と憂いを分かち合って難を解く精神が百里嵩にあったことを伝えて「随車夏雨」の成語が残るできごとになったといえるのでしょう。故里封丘の墓所の傍らに碑を立てて後人はこの事績をいまに伝えています。
 山間部に車を入れなかった都知事のあったことを合わせ思いつつこの一稿を。
 

  • 2016年07月06日(水)
  • 動物

「博士買驢」(はかせばいろ)

 主意を伝えない長々とした空文を書く知識人を「博士買驢」(『顏氏家訓「勉学」』から)と揶揄していいます。学者の尊大さをあしらう庶民にとっては小気味よい四字熟語です。ここでの「博士」は、学位ではなく、医学・薬学博士の兄弟がつくった「博士ラーメン」ほどの親しさでしょう。古代の鄴都での話なので、きっと「五経」など民衆の暮らしに関係がない知識をひけらかす人物を博士と呼んだのでしょう。
 そんな博士が市へいって驢馬を買うことになります。一頭の驢馬を選んでさて代金となって、驢馬売りに証明を求めます。当然に自分が代わって書くことになって3枚。やっと書き終わって抑揚よろしく読み上げました。驢馬売りが「3枚のどこにも驢がない」と指摘すると、そのとおりだったので博士は売り場でもの笑いになりました。なぜか安倍首相は参院選応援演説で「改憲」をいいません。選挙に勝つための「首相買憲」をキャスターに指摘されてキレるようでは、「改憲」の信は得られないでしょう。




 
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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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