東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

  • 2017年03月29日(水)
  • 植物

「火樹銀花」(かじゅぎんか)

 冬の夜を明るくする「火樹銀花」(唐・蘇味道「正月十五夜」など)は、なにやら現代の大都市の夜景を思わせることばです。「火樹」は紅い火の色をした樹で、樹上に灯火を掛けつないだ情景、「銀花」は光で銀色に輝く花。
 日月が同時に昇って沈む春節から月の出が遅れて夕暮れの三日月となり、半月となり凸月となり、十五夜を迎えます。元宵節です。「火樹銀花」は灯光や焔火に照らされて明るく輝く元宵節の夜景をいいます。農民は一年の幸いを満月に祈るのです。何より豊作であること、そして無事であること、子宝が得られること・・。唐の長安での一月十五日の「火樹銀花」は、そのための月への願いの明かりでした。それから農作業に精を出し、八月十五日には「中秋名月」にむかって収穫のお礼をし、月餅をいただくのが古くからの農民のならわしであったようです。いまや西安ばかりでなく、大都市の元宵節には花火をあげ、木々の枝を電飾で彩り、ビルの壁面や池の水面まで使って不夜天の世界を演出しています。一年の幸いを何に祈っているのでしょう。
 

「想入非非」(そうにゅうひひ)

 実際にある姿を離れて実現ができないことを想像することを「想入非非」(『官場現形記「四七」』など)といいます。もとは仏教が説く世界観で、通常の能力では到達できない玄妙な境地(天上界)のうちの最上位の天を「非想非非想天」(有頂天)といいます。座禅瞑想で到達できる境地では次はもう涅槃(入滅)であるというほどにつきつめた世界なのです。わたくしたちは、いささか気軽に有頂天になったりしているようです。
 企業家イーロン・マスクが熱っぽく語るロケットやソーラーシティの野心的なプロジェクトは、まさに近未来の「想入非非」の世界といえるでしょう。
 日本女性の和服姿は、民族衣装のなかで男性にとって女性の魅力をもっとも「想入非非」させる衣装といわれます。中国服の旗袍(チーパオ)もそうですが、北方系狩猟民族の衣装は活動的だからでしょう。美女を前にしての「想入非非」ということになれば、男性は想像をたくましくして仏教が説く有頂天とは別の世界に遊ぶことになります。

 

  • 2017年03月15日(水)
  • 植物

「花開無声」(かかいむせい)

 春の訪れとともに人の心はおおらかに晴れやかに動きますし、木々はそれぞれにそれらしい花を開きます。「花開無声」は、花やぎながら特性を表現するその静かなたたずまいをとらえています。そこで人知れず世のため人のために静かに尽くすこと、例えば献血とか介護とかの活動に添えて用いられます。「花開無言」ともいいます。
 あとに「花開無声、落地有声」といささか世俗臭をまじえて製品を誇示する場合に用いたりしますが、「花開無声太匆匆、落花無言亦匆匆」(「花開花落両無言」から)が本筋で、開花も落花も無声無言であることに本来の味わいがあるといえるでしょう。春の訪れとともに花々が開いて五彩繽紛として人の心を昂らせ、落ちて凋零離散して人の情を傷める。そうして「春暖花開」のときは移ろっていきます。しかし「落花無言」については、唐代から司空図『二十四詩品「典雅」』の「落花無言、人淡如菊」が知られて、佳士たるものは花に淡泊であるべしとする鑑賞のほうに品格を見ています。 

 

「飲食男女」(いんしょくだんじょ)

 飲食は食欲で、男女は性欲で、『礼記「礼運」』では合わせて「飲食男女は人の大欲」といっています。ともに節すべきこと、戒めることとして孔子の時代から用いられてきたことばですから、いまさらといわれそうですが、いまやレストランで食事をしながら恋人と語り合う姿などにいわれて、大欲より少欲といえるほどにほほえましい情景です。
 そんな意味合いから、香港のグルメ旅行雑誌「飲食男女」は週刊発行部数が20万部というベストセラーになっています。また台湾映画「飲食男女」は料理人と三人姉妹美味しくもまた心温まる恋物語で、カンヌ映画祭で評判になりました。やや遅れて本土でも都市でのライフスタイルが軽い喜劇調の「飲食男女」ドラマとして制作されています。わが国では久世光彦『飲食男女』(文春文庫)では「おんじきなんにょ」と読んで、食べものから立ちのぼる遠い日の女性たちの記憶をたどっています。となると、小津安二郎の『秋刀魚の味』などは「飲食男女」映画の名作にノミネートされることになります。
 

  • 2017年03月01日(水)
  • 自然

「筆下春風」(ひっかしゅんぷう)

 ひねもすパソコンやスマホを叩いているみなさんに聞いてみたい。杜甫がいう「筆掃千軍」(酔歌行)や韓愈がいう「筆力扛(こう)鼎」(病中贈張十八)のように、筆陣で千人の軍を一掃したり、筆力で鼎を扛(あ)げたりできるのだという筆にかけた気魄雄大な発想にはもはや実感がもてないのではないかしら。
 新聞記者は筆誅を加える記事をパソコンで叩く。筆を用いずに筆鋒鋭い記事を書く。ここはやや春めいてきた空気を察して、「筆下春風」でさらりといきたい。「筆底春風」ともいいます。自然の春より先に筆の下に春風をしのばせることならできそうです。李賀がいう「筆補造化」(高軒過)です。しばらくすれば「筆頭生花」が実感できる季節がやってきます。筆頭に力があるのは筆頭株主くらいで、前頭筆頭となると角力があるのかないのか。文戦が命運を決するとき、西柏坡新華社(河北省石家荘市)で巨筆をふるったのは毛沢東自身でした。中国の新聞には「筆掃千軍」の実感があるのです。
 

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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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