- 2019年02月27日(水)
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「政出多門」(せいしゅつたもん)
「政出多門」はいろいろな部門が政策を出すことですから、民主主義の社会なら良い意味で用いられるところですが、「除く、避ける」ものとされていて事情は逆。理由は原意になった「政多門」(『左伝「襄公三十年」』から)が、大国にはさまれた陳国の君主が卿大夫らから出された政(政令)を領導できずに国を滅ぼしてしまった故事からのため。一方に「政由己出」があって、己は項羽のこと。「政はおのれより出づ」として独断専行。章炳鱗も『民報』を発禁にした内務大臣平田東助のやり方をこう評しています。
すでに採り上げた「群龍無首」(2018・8・15)は無首のために困った状態が想定されますが、これも逆。原意になった『周易「乾」』の「群龍無首」は、天徳による治世がおこなわれていたころには、優れた能力をもつ人物(龍)がたくさんいても互いに補いあってしごとをしていたので、とりたてて「首」とする人物を置く必要がなかったというのです。 政治は常に表裏があるようです。さてこの国の「政」はどのあたりにあるのでしょう。