東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

  • 2019年05月29日(水)
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「游刃有余」 (ゆうじんゆうよ)

「游刃有余」(『荘子「養生主」』から)は、庖丁(ほうてい、料理人の名)の技術がすぐれていて、手さばきも軽く牛刀をあやつりながら骨と肉、骨と節を切り分けていき、少しも牛刀が骨に当たらない調理のしかたをいいます。そこから経験が豊かで熟練した技術や知識で問題を解決してむだな力を費さないことにいいます。
 目の前で、庖丁が実にやすやすと牛をさばいていくのに感嘆して文恵君(梁の恵王)が問います。庖丁はこれは技ではなく道だといいます。牛の骨と肉や節のつき具合をよく知って本来の筋目に従いからだのしくみに従って調理するので骨に当たることがない。「腕のいい料理人でも年ごとに牛刀を替えるのは骨に当たるからで、わたしのは19年になり数千頭もの牛をさばいても研いだ後のように鋭利です」と答えます。「善きかな、言を聞いて生を養うを得たり」と恵王に言わしめています。
 アメリカ市場で中国製品が歓迎されるのも、「游刃有余」の結果だといいます。
 
  • 2019年05月22日(水)
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「大手大脚」(だいしゅだいきゃく)

 手が大きく足が大きい「大手大脚」(曹雪芹『紅楼夢「五一」』など)といえば、およその察しがつくように、金遣いが荒い、派手に浪費する、節制を知らないことに。六つの財布からひっぺがしたお小遣いで何不自由なく育ったひとり娘はオヨメにもらうなというのが、裏でのささやきです。日本にきて化粧品のバク買いをする中国客にはこんな性向の女性が含まれているのでしょう。「大手大脚」どころか美形です。では「小手小脚」はというと、こちらは気が小さくてまともにものごとができない、手足がうまく使えないことに。さらに「毛手毛脚」もあって、心がこもらない、沈着でないことにいいます。
「四体不勤」に暮らす都市住民や若者たちに対して、地方で子どもの学費や結婚費用のために辛苦して働く父母の手のひらはごつごつしています。泰山をのぼる客の荷を担いで6000段の石段を登る挑山人の肩には玉の汗が光っています。それを知る子どもはお小遣いを貯蓄します。不況があたえる反省の時が中国社会に近づいています。
 

  • 2019年05月15日(水)
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「江郎才尽」(こうろうさいじん)

 身近なスマホでも車でも、かつてナンバーワンといわれたものが衰退していく「江郎才尽」の感覚は、だれにもわかるのでよく使われます。
 江郎は江淹(字は文通、444〜505)のこと。南朝の宋、斉、粱の三代に仕えた文学者で、若いころは才気あふれる詩文を表して高い評価を得ていましたが、官をのぼり年をとるにつれて文思衰退して佳句を欠き趣きを失い、ついには枯渇して並みの詩文しか書けなくなって「江郎才尽」(『南史「江淹伝」』から)といわれました。いまなら認知症といわれるような病変によって起こる文思衰退を「江郎才尽」と名づけられて、当人としてそれを知って耐えていた江郎自身の悲哀の深さがこのことばを残しているのでしょう。
 もの書きばかりでなく、歌手にも、名作の映画化にもいわれ、テレビに出づっぱりのタレントに実例をみかけます。また文才ばかりでなく、サッカーの花形選手にも、ブランド製品の劣化や国際モーターショーでの日本車が「江郎才尽」と評されたりもします。
 

  • 2019年05月08日(水)
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「凡桃俗李」(ぼんとうぞくり)

 大地が温もった春に咲き、妍を争いあう桃や李の姿(李白桃紅)を、凡であり俗とみる「凡桃俗李」(王冕「題墨梅図」から)がいわれます。そこから俗人のすることや平凡な事物や実績のない政治にもいわれます。元末の画家王冕(字は元章)の「凡桃俗李争芬芳、只有老梅心自常」が出典。氷雪の林中で一夜清らかな香りを発する白梅に出合った画家が、苦学した姿を思い桃李を凡俗とみる立場には納得がいきます。
 王冕が苦学するようすが小学生の教科書に「少年王冕」として載っています。貧農の子だった彼は、地主の牛の面倒をみながら村の学堂へいき、朗々と読み上げられる文章を記憶します。あるとき牛を忘れて帰って父に叩かれ、家を脱したかれは寺院にいき、仏像の膝に坐って灯明のあかりで借りてきた破れた本を読みました。結局、科挙には通らず、各地を放浪して絵を画いてすごしました。王冕の画は日本にも伝わり、信長の父織田信秀が所蔵していた「墨梅図」が宮内庁三の丸尚蔵館に保存されています。
 

  • 2019年05月01日(水)
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「春蘭秋菊」(しゅんらんしゅうぎく)

「平成」から「令和」への改元。青少年(〜30成長期)や中年(〜60成熟期)のみなさんは勢いづくでしょうが、4人にひとりの「高年世代(65〜円熟期)」の人びとは、このままいまある社会で身を細めて過ごすのでしょうか。このたびの明仁天皇の生前退位は、政府の「ゴムひも伸ばし」の政策に「ノー」をいわれて、みずからの高齢期人生を確保されたもの。本稿は上皇としての期間を「令和(後平成)」期と呼び、「高年世代」が「自立」をすすめて存在感を示す「三世代平等化」のチャンスとして期待しています。

「退位礼正殿の儀」(4月30日)を終えた明仁天皇のおことばは、象徴としてのつとめを「国民への深い信頼と敬愛をもって行い得たことは幸せでした」であり、「即位後朝見の儀」(5月1日)での徳仁新天皇のおことばは、上皇に学び「自己の研讃に励むとともに常に国民を思い国民に寄り添う」でした。円熟期の上皇と成熟期の新天皇にはそれぞれに人生の春秋があります。「春蘭秋菊」(『楚辞「九歌・礼魂」』など)なのです。

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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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