東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

  • 2020年07月29日(水)
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「巧奪天工」(こうだつてんこう)

 人工の精巧さが自然のつくりあげた造化(天工)に勝ることを「巧奪天工」(『趙孟「贈放煙火者」』など)といいます。かつて自然を畏敬していた人間とのあいだには「巧同造化」があって、人間がもつ創造能力によって自然の精巧な造化から学んでその姿に迫ろうとしていたのでした。その姿は木のもつ特徴を活かした家具、並木道、日本庭園の趣、水系による棚田の情景など・・。「巧奪天工」となると自然を超えた人為が際立ってきます。サラブレッド、車、多楽器の交響曲・・。そしてきわめつけは人工知能AIの登場です。人間の全知を超えるシンギュラリティを2045年と予測する未来学者もいて。「巧奪天工」の未来は人工・天工をも超えた未知の世界です。
 見えない極小世界での自然の変異としての新型ウイルスに襲われる人類。生体としてのヒトが生き延びるための体内抗体としてのワクチン。精巧さにおいて人工が天工に勝る「巧奪天工」の一事象といえるのでしょう。その成果が待たれています。

  • 2020年07月22日(水)
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「夫唱婦随」(ふしょうふずい)

「天下の理は夫者が倡(とな)え婦者が随う」という「夫唱婦随(『関尹子「三極」』から)は封建時代の社会と家族制度を支えた「男尊女卑」による夫婦の関係でした。それでも明代になると「夫随婦唱」(李開先『宝剣記「五二」』など)が表に出てきます。妻の言い分をよく聞く夫の登場です。女性は「幼時は父に、嫁いだら夫に、夫の死後は子に従う」という「三従」に長く縛られてきました。「婦随夫唱」となると妻主体のニユアンスが少し強まります。
 近代以降は「男女同権」の潮流に乗って意味をかえ、近時の辞書には「夫唱婦随」とは「仲が良い夫婦に対して用いることば」と説明されています。さらに「婦唱夫随」となると裏返した「女尊男卑」の女性主体の生き方が濃くなりますが。お見合い結婚の世代には「夫唱婦随に、相手を自分で選んだ恋愛結婚世代には「婦唱夫随」にそれぞれの味わいがあります。夫がすぐ後を追ったプロ野球の野村夫妻の姿などが偲ばれます。中国ではこのタイトルの歌がみんなに好まれて「婦唱夫随」が浸透しているようです。

  • 2020年07月15日(水)
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「洗手奉職」(せんしゅほうしょく)

 世界の感染者が1300万人、死者が50万人を超えたコロナウイルス感染被害。見えない敵に対して命をまもる対策は、一人ひとりが「手を洗う」こと。ウイルスを体内に侵入させない基本ですが、「手を洗う」ことはまた「心を洗う」ことに通じるようです。手を洗って職務をしっかりと担うという「洗手奉職」(『韓愈「胡良公墓神道碑」』など)は、いまは医療従事者のみなさんを励ます成語のように聞こえます。もとは官吏が汚職に染まらない「改邪帰正」の心を引き締めて職務にあたることから。
 海外に例を見ない「強制されない自粛」で49日間、みんなで耐えて守って得たわが国の「感染収束」。それにほつれを生じさせた夜の街の若者たち。心を洗って面をあらためる「洗心革面」の姿を見せず、手も洗わずマスクもしない「変わらない日常」に帰り急いだテレビ画面の日常。それに呼応した若者による「第二波」の顕在化。中国の子どもたちはきょうも「手洗い」の歌をうたって「手洗い」を励行しています。

  • 2020年07月08日(水)
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「座無虚席」(ざむきょせき)

 座席に空きがないことが「座無虚席」(『晋書「王渾伝」』など)で、通常なら用意した座席が満員でよかったですむのですが、コロナウイルス感染が広がって飛沫感染を避けるために空席をもうける「座有虚席」が求められて意味合いが一変しました。
 大統領選キャンペーン大集会で「座無虚席」のはずだった2階席が埋まらず「寥寥無機」までいわれたトランプ大統領。独立記念日の前日7月3日にはサウスダコタのラシュモア山を訪れて歴代大統領の巨大彫刻を仰ぎ見て「英雄を絶対傷つけさせない」と演説、7500席の「座無虚席」の聴衆から総立ちの喝采を受けました。
 ウイルス感染を避けるため、「座らないで」や×印の張り紙で「虚席」を示したり、学校では生徒同士の机とイスを離したり、映画館やホールでは前後左右を空けて座ったり、ファミレスや飲食店ではイスの数を減らしたりテーブルをはさんで交互に座ったりと座席のパーティションに「座無虚席」へのさまざまな工夫をこらしているようです。

  • 2020年07月01日(水)
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「折腰五斗」(せつようごと)

 五斗のために腰を折る「折腰五斗」(『晋書「陶潜伝」』から)は、年に5斗(今の5)というわずかな俸禄を得るため汚吏貪官や若造の屈辱を忍ぶこと。それには耐えられぬと職を辞して郷里に帰ったのが陶潜(字は淵明)です。その事績はのちの唐(孟浩然)や宋(辛棄疾)になって広く知られて「折腰五斗」がいわれるようになりました。有名な「帰去来の辞」の「帰りなんいざ、田園まさに蕪れなんとす」は菅原道真以来の訓読。故郷の潯陽20年をすごして、里人に靖節の人五柳先生と慕われて生を終えています。
 大正から昭和の初めに中国大陸で生まれて育った高齢の方々が亡くなっていきます。蕪れた戦禍のちまたに戻って、「三密」のなかで身を寄せ合い助け合って貯蓄などせず、「一億総中流」社会をこしらえた功労者の方々です。ですから「老後破産」といわれ「下流老人」と呼ばれても「国のお世話」(生活保護)をいさぎよしとせず、大陸の荒野で捨てられまた都会の片隅で無視されても自足の人生を送って去る人びとです。

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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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