東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

  • 2018年11月07日(水)
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「玉露生寒」(ぎょくろせいかん)

 秋の深まりを一点に凝縮した成語に「玉露生寒」(『李群玉集「秋怨」』など)があります。夏至から冬至にいたる日々を穏やかにすすむ秋は、「金風が暑を去り玉露が涼を生ずる」(『水滸伝「三〇回」』)ことでその訪れを感知することになります。二四節気の秋分を挟んで白露と寒露とがあります。玉露は中国では美酒の例えにいわれますが、日本でのお茶の玉露は茶葉を露のように丸くして煎ったことからがいわれのようです。
 移ろいながら人の目を驚かせる「秋色迷人」のきわみが「楓林如火」。満山紅葉で火の海に踏み込んだような秋との出会いは鮮烈です。中国には四大賞楓地があって南京棲霞山、北京香山、蘇州天平山、長沙岳麓山がそれ。その中でも「深秋棲霞、楓林如火」といわれる南京の棲霞山が甲天下の名所です。山中にある棲霞精舎は南斉時代からのもので、ここから日本へ渡った鑑真の記念堂もあります。わが国では京都嵐山をはじめ各地での「紅葉狩り」。季節は霜降から小雪へと移ろっていきます。
 

  • 2018年10月31日(水)
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「雁過留声」(がんかりゅうせい)

 秋の空高く南に渡る雁の群れが一列やカギ形になって飛び去っていきます。あとに鳴き声を残して。また深まる秋の夜に孤雁の悲傷にも似た鳴き声を聞いて、去り行きし人を想うことも。実景としての「雁過留声」がそれで、馬致遠の元曲『漢宮秋「第四折」』では、元帝が匈奴単于に送ってしまった王昭君を想い出す場面で用いられています。
 それは「人過留名、雁過留声」(『児女英雄伝「第三二回」』など)と連ねて、比喩としてこの世を去った人びとの思い出や業績や名声などについていわれるようになります。中国における死生観が「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」(『論語「先進篇」』から)であることからして、死の意味は生の中に残りつづけているのです。
 雁といえば天竺まで旅した玄奘三蔵にちなむ西安の慈恩寺大雁塔が知られます。雁の群れから一羽が落ちてきて菩薩の化身として埋葬し塔を建てたことから。唐代には進士に及第したエリートがここで名を留めたことから「雁塔題名」がいわれました。
 

  • 2018年10月24日(水)
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「開門見山」(かいもんけんざん)

 門を開くとなんの障壁もなく峰々へとつらなる僧院のたたずまい、訪れる官吏の姿も多く見られたことから、唐の劉得仁は実景として「開門見数峰」(「青龍寺僧院」から)と詠っています。そして宋代の厳羽『滄浪詩話「詩評」』では李白の詩の趣き、とくに首句がそのまま「開門見山」であると評しています。それ以後は話や文章がずばり本題にはいることの比喩として用いるようになりました。異和のある驚きの話題を述べる前置きとしていわれますが、いままた本筋にもどって、繁華な都会生活から離れて緑と深呼吸ができる空気とに浸れる山居生活が「開門見山」として見直されています。
 日本の合掌づくりを保存する白川郷は「家家草屋、開門見山」という感嘆のことばになりますし、また東京観光を終えたあと富士山麓の旅館に泊って、正座して日本食をし日本庭園をみ温泉につかって、富士山をみる。雲ひとつない秋晴れの富士に出合えた客に宿の主人がその幸運をいうとき、「開門見山」の喜びを満喫することになります。
 

  • 2018年10月17日(水)
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「金玉不琢」(きんぎょくふたく)

 まことの玉(金玉)は琢磨する必要がなく、まことの珠(美珠)も色彩で修飾する必要がないというのが「金玉不琢、美珠不画」(桓寛『塩鉄論「珠路」』から)です。『淮南子「説林訓」』では「白玉不琢、美珠不文」ともいっています。ふつうはことわざにあるように「玉磨かざれば光なし」であって、すでに『礼記「学記」』に「玉不琢不成器、人不学不知道」がいわれて、人びとは社会の要請に応えて有用な器になるために、道を知るために努めてきました。三字経にも「玉不琢、不成器」が挿入されています。
 それはそれとして、人生にもっとも大切なことは、内在する自からの質朴さを失わないこと。それを活かして自己実現をはかることです。琢磨したつもりが自在性を失い、精細に学んだつもりが朴実さを失うなら、そんな要請は避けるのが「金玉不琢」の人生といえるでしょう。皇帝の呼び出しにも応じなかった李白が詩心を失わず、五柳先生(陶淵明)が常に栄利を離れて暮らして晏如とした人生を得たようにです。

  • 2018年10月10日(水)
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「雨霖鈴曲」(うりんれいきょく)

「王朝の女人・楊貴妃」を演じて、華麗・艶麗な唐王朝の女性を体現してみせた美人女優范(範)冰冰(ファン・ビンビン)が146億円という多額の脱税を指摘されて、当局から女優として“死を賜う”ことになりました。安史の乱で玄宗皇帝とともに長安を追われて蜀の地に逃がれる途中、馬嵬で一族とともに殺害されたとき、楊貴妃は37歳。奇しくもいま范冰冰は37歳。玄宗に死を賜って縊死した楊貴妃と同年齢なのです。
 楊貴妃にかんする四字熟語には「明眸皓歯」(杜甫「哀江頭」)や「一笑百媚」(白居易「長恨歌」)「解語之花」(開元天宝遺事)などがありますが、この「雨霖鈴曲」(明皇雑録補遺)は楊貴妃に死を賜ったあと、斜谷で長雨と馬の鈴の音の響きに亡き愛妃を思って玄宗がつくった楽曲の名です。玄宗には琴をつま弾く楊玉環の姿が見えていたでしょう。広く妻や女性をしのぶ曲にいいます。「寒蝉凄切」ではじまる宋の柳永の「雨霖鈴」詞には、相愛の「佳人」との別れの深い悲傷が覊旅の風景の中に詠いこまれています。
 

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堀内正範氏

日本丈人の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈人の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈人の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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