東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

「嗚呼哀哉」(おこあいや)

 嗚呼も哉も感嘆を示す詞であり、「嗚呼哀哉」(ああ、哀しいかな、『三国志蜀志「諸葛亮伝」』など)は心底からの哀痛の極みを表現しています。唐朝を代表する書家、顔真卿の「祭姪文稿」(台北の故宮博物院蔵)は、安禄山の乱で非業の死をとげた親族の顔杲卿、季明の親子への哀惜の情を切々とつづったものですが、その文字づかいは「文は人なり」を感得させてくれるものといわれ、その中で一瞬、真卿が心を鎮めて「嗚呼哀哉」と一行に書きとめたとき、人の吐露しうるものの極限をきわめたといわれます。
 のち顔真卿は叛軍のなかで堂々と宣諭をおこない、そのまま囚われて幽禁ののち、寺内の大イチョウの下で縊死して「厳霜烈日」の生涯を閉じています。真卿の書体は「顔体」と呼ばれて後世の書家の範とされていますが、風格あるその楷書は明代に印刷版本の書体(明朝体)に採り入れられ、味わいある活字として今に伝えられているといいます。空海も唐の長安でその書風を学んだようです。



 

「心有余悸」(しんゆうよき)

 過去にあったことがふいに回想されて動悸がすることを「心有余悸」(巴金『随想録一四〇』など)といいます。だれにもそんな経験があるでしょう。失恋のときの心痛がそうでしょうし、難関といわれた入学試験に受かったときの鼓動とか、万馬券を当てて「歓(欣)喜雀躍」したときのこととか。夢から覚めたあとのそんな経験も。熊本地震の余震をおそれて、福岡地方で防災用品が売れたのは「心有余震」ということなのでしょう。
「心心念念」(『河南程氏遺書「二上」など』)のほうはいつも念頭から離れないでいること。亡き師のことばやふるさとへの思い、おいしかった料理も。車イスで酸素吸入しながら舞台稽古に臨んでいた演出家の蜷川幸雄さんが12日に肺炎による多臓器不全で他界(八〇歳)しましたが、愛弟子たちの哀悼のことばからはそれぞれ師によせる「心心念念」の熱い思いが伝わってきます。
 

「不恥下問」(ふちかもん)

 後輩や目下の者に対しても問うことを恥としないことを「不恥下問」(『論語「公冶長」』から)といいます。とくに学者の中には下問を恥とする向きもあってできないことのようです。『論語』では弟子の子貢が、孔圉(こうぎょ)という人物が諡(おくりな)として最上である「文」の字を得て孔文子と呼ばれていることを疑問にして、あの程度の人物になぜ「文」が許されるのかと問うたところ、孔子の答えは「敏にして学を好み、下問を恥じず」というものでした。学問の問のありようの基本にかかわる「下問を恥じず」を評価したことばです。ちなみに唐の「文公」は韓愈ですし、宋の「文正公」は司馬光、「文忠公」は欧陽修や蘇軾です。
 和食が世界遺産に登録されたのにあやかって制作された『武士の献立』で、加賀藩に仕えた庖丁侍の舟木伝内(西田敏行)が息子の嫁(上戸彩)から料理を学ぶ場面の「不恥下問」ぶりの演技には文の味がありました。
 

「哀而不傷」(あいじふしょう)

 詩歌や音楽が優美に湧きあがろうとする感情を適度に抑えて表現されていることを「哀而不傷」(『論語「八佾」』から)といいます。こういう作品は生きる喜びを伝えてきました。『論語』では、孔子が「関雎(かんしょ)」という詩の曲調について、「楽而不淫、哀而不傷」と評しています。訓読では「楽しみて淫(いん)せず、哀しみて傷(やぶ)らず」と読んでいます。淫は現代では性的に狭義に使われますが過度にならないこと。「哀而不傷」は「四字熟語の愉しみ」になくてならない一語です。
 中和の美をたもち哀切さを帯びた感情表現は奥ゆかしく心が洗われます。小沢征爾が「二胡皇后」といわれた惠芬の古楽器演奏で「江河水」を聴いて、「人間の悲切さが奏し出されている」といって感動の涙を流したことがありましたが、それが「哀而不傷」です。比喩としては、極端な左右の立場を制して、過不足なく調和がとれている活動に用いられています。
 

「壮心不已」(そうしんふい)

 暮年(高齢)になっても事業へのさかんな志がやまないことを「壮心不已」(曹操「歩出夏門行」から)といいます。乱世の英傑曹操がこの詩をつくったのは54歳で、官渡の戦いで袁紹を破ったころのこと、覇業はこれからというときでした。ですからその胸中に動いたものが「烈士暮年、壮心不已」の句であったとしても、それは実感というより将来への願望だったのでしょう。

暮年というのは、いくつくらいからをいうのでしょうか。時代によって異なるとはいえ、ふつうには仕事から離れる時期。乱世を生き抜いて65歳で怒涛のような生涯を終えた希代の覇者が、「老驥伏櫪、志在千里」というとき、千里を走る驥(駿馬)は老いて櫪(うまや)に伏していても志は千里を走ろうとするのだ、と世の趨勢にたてついてみせたとき、このフレーズは時代を越えて、「朝露の如き人生」を謳歌する名句になったのでした。「老驥(き)伏櫪(れき)」ともいいます。

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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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