東京都新宿区の校正・校閲会社、円水社(えんすいしゃ)のブログ

「天上人間」(てんじょうじんかん)

「流水落花、春去りゆきぬ、天上人間」(「浪淘沙令」から)と、宋の汴京(いまの開封)に囚われの身となっていた南唐の後主李(りいく)は、生きて再び会うことのかなわない故地の人びとや風物への思いを、行く春を前にして詠っています。「別るるときは容易に、まみゆるときは難し」といかんともしがたい永別の悲しみを見据えています。 
 また安禄山軍に追われて蜀に落ちのびて行く途中で、玄宗によって死を賜った楊貴妃は、「天上人間、相見ゆるをえん」(白居易「長恨歌」から)と、永別のときに際して、けっして通じることのできないはずの「天上人間」での再会を約して命絶えます。
 天上と人間、この隔絶したふたつの世界をつなぐことはむずかしい。そんなつきつめた別離の情を伝えてきた成語の意味を崩壊させてしまっているのが、逢いがたい人に逢える場として北京や上海にできた「天上人間」という高級ナイトクラブです。ひととき傍らにいるだけで5000元という名妓まで現われて。
 

「単刀赴会」(たんとうふかい)

「単刀」は一刀あるいは一人のこと。「単刀赴会」は単身で時には命がけで相手の陣営へ交渉に赴くこと。英傑が覇を競った三国時代にこの成語を生んだのは蜀の関羽です。『三国演義「六六回」』では「関」の紅旗をかかげた船で乗りこみ、腰刀を帯びた八、九人の大漢に護らせて呉の魯粛との交渉に臨んだ関羽を「単刀赴会」と記しています。
 アメリカへ乗り込んでトランプ大統領との会に臨んだ習近平主席もそうですが、全人代で国内の難題の討議を終えた3月15日、人民大会堂で待ち構える1000人近い内外のメディアに年1回の記者招待会で18問に応対した李克強総理の姿にもみることができます。日経新聞記者の中国語をほめて笑いを誘うなど余裕を見せていました。
 この一人ゆく「単刀赴会」や激痛に耐え「言笑自若」(2013・2・27)の関羽を思えば、少々のピンチにあわてることもないでしょう。一人でデータや資料をかかえて交渉に赴くとき支えてくれるにちがいありません。困難を克服して人生を愉しむ四字熟語です。
 

「伯楽相馬」(はくらくそうま)

 次の時代に輝く人材は、だれか慧眼の人によって見い出されてきました。前項の賈島や「二十にして心已に朽ちたり」と詠った鬼才李賀や「走馬看花」(2013320)・「三春之暉」(20142・12)の孟郊などを見出した韓愈は、「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず」(『雑説「第四」』から)といっています。「相」はよく監察すること。馬の良否を見分けた伯楽(孫陽)は春秋時代の秦の人で、韓愈は次の時代の逸材を見出す人の不在を嘆いています。

 韓愈自身は、進士科・博士弘詞科にそれぞれ三度失敗し、三度の左遷を繰り返し地方ぐらしをしています。空海や最澄が入唐したころは最初の左遷で連州陽山(広東省)にいました。硬骨の官であり「有愛在民」を旨として生きた韓愈がそんなようすでしたから、優れた留学僧として唐に渡り、20年を2年で帰国した空海にとって、長安は長居するところではなかったのでしょう。

「臨池学書」 (りんちがくしょ)

 書聖といわれる王羲之の有名な「蘭亭序」(行書)は、唐の太宗がみずからの昭陵に副葬させたので原蹟は失われましたが、臨摸された歴代の逸品のうち、わが国の博物館・美術館・個人が秘蔵する作品も数多く残されています。
 王羲之が草書の目標として崇拝したのが後漢時代の張芝です。張芝は勤めて池に臨んで書の力を養い池水が墨で真っ黒になったため、「臨池学書、池水尽墨」がいわれました(晋衞恒『四体書勢』から)。張芝は家中の衣帛すべてに字を書き、それを洗って再び使ったといいます。どうやら池で洗ったのは筆硯ばかりではなかったようです。羲之もそれにならったことから「臨池学書」がいわれ、その古跡は「墨池」と呼ばれたのですが、いま紹興市の「蘭亭」には池は「鵝池」だけ。しかし羲之が臨池して刻苦して書を学び、筆硯を洗った姿を後人が慕って、「臨池」というと書論や書学など書に関する学問を指すようになっています。

「名落孫山」(めいらくそんさん)

 宋代の才子で、「滑稽才子」とあだ名された孫山が同郷の子とともに郡都での「挙人」の考試に参加したときのこと。終わって合格者名の発表があって、どんじり(倒数第一名)にやっと孫山の名があり、しかし同郷の子の名はありませんでした。先に戻った孫山に郷里の人がようすを聞きます。孫山は「解名の尽きる所に孫山の名があり、彼の名はさらに孫山の外にありました」(解名尽処是孫山、賢郎更在孫山外)と報告します。以後、この話が伝わって、不合格だったことを「名落孫山」(范『過庭録「第六九節」』からというようになりました。科挙は秀才、挙人、進士とありますから、挙人レベルでどんじりだった孫山のその後のようすは本稿の外でのこと。
 いまでも考試に不合格(落榜生)であったことに「名落孫山」がいわれますが、そのほかにたとえば西北地区の中心であった歴史文化名城の西安が、「全国六大城市群」から外されたことにも「名落孫山」がいわれます。

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堀内正範氏

日本丈風の会 代表
Web月刊「丈風」編集人

当社が永く校正で携わった、『知恵蔵』(朝日新聞社)の元編集長、朝日新聞社社友。
現在は「日本長寿社会」を推進する「日本丈風の会」を主宰し、アクティブ・シニアを応援している。 中国研究を基にした四字熟語への造詣も深く、時事を切り口に、新聞や書籍において解説を行なっている。
日本丈風の会ホームページにて、「現代シニア用語事典」も掲載。

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